2008年04月08日
包拯の生涯
この人大好きです。
もっといろんなこと知りたいです。
包拯の生涯は北宋の真宗、仁宗の二代にわたる。真宗の在位は26年(997-1022)、仁宗の在位は42年(1022-1063)2代あわせて67年であり、北宋の3分の1以上の歴史を占める。若いころには故郷の合肥で学問に励み、この時期はちょうど真宗の治世であった。その後の包拯の人生は大部分が仁宗の治世下にある。仁宗は乾興元年(1022)に13歳で即位したが、劉太后が政治の実権を握っていた。明道二年(1033)に劉太后が逝去の後に仁宗は親政を行い、嘉祐八年(1063)に病逝する。包拯は仁宗天聖五年(1027)に29歳で科挙試験の進士に合格、建昌知県(県知事)に任命される。しかし、両親が高齢であるために故郷を離れようとせずに官を辞職する。両親の世話をし、その死後は喪に服したことなどで、その孝行ぶりは故郷に知れ渡った。景祐四年(1037)に包拯が39歳の時に再び任官され、嘉祐七年に病逝する。以上のことから、包拯の大部分の人生は仁宗の治世にかかわるものである。
包拯の主な業績
包拯は仁宗の時代に仕え、科挙試験で進士に及第し大理評事、建昌知県、枢密副使にまで昇り詰めた。その間約26年に数多くの職を経ている。包拯については、宋代に書かれた「仁宋実録・包拯附伝」と元代に書かれた『宋史』包拯伝の2つの歴史書があるが、両者とも記載は比較的簡単なものである。1973年に合肥にて出土した、包拯とその親族の6個の墓誌銘によってそれらの記述を補うことは可能であったが、墓誌銘の中には不完全で不明確な部分もあった。
包公故事と清官文化
北宋の包拯は、当時の官僚たちの中での地位、名声は決して高いものではなかった。しかしながら、死後に図らずも名誉を得ることになる。特に宋、元以来、包公故事は広く語り伝えられた。その結果、庶民に崇拝される典型的な人物像が作り上げられ、後世の人々に伝えられる。包拯は清官(清廉潔白な官吏)の代表とされた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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